The Reichsbahn's first years (1919-1928)

 第一次大戦までのドイツには、各地方毎に鉄道会社が多数存在した。これらの殆どが地方政府の運営によるもので、Laenderbahnと呼ばれた。1919年までには以下の主要7鉄道が残っている。

 プロイセン−ヘッセン鉄道:プロイセン
 バイエルン王立鉄道:バイエルン
 ザクセン鉄道:ザクセン
 ビュルテンベルク州立鉄道:ビュルテンブルク
 バーデン鉄道:バーデン
 メクレンブルク−フォーアポンメルン鉄道:メクレンブルク
 オルデンブルク鉄道:ニーダーザクセン・シュレスヴィヒ・ホルシュタイン

 1919年、敗戦後のドイツではそれまで各州毎に独立して存在した鉄道会社を統合することとなった。これらの会社は当時既に国際列車等の乗り入れの必要性から車両限界や信号扱いなどの基本仕様は一致しており、車両整備技術や運行管理に関する問題はなかった。また当時進展しつつあった電化にあたっては運輸省(RVM)の管理下で電気方式がAC15kV 16 2/3Hzと決定されており、第1時大戦中にはプロイセンのG12(後のBR58)がバーデン・ビュルテンブルク・ザクセンの3鉄道でも導入されるなど統一の下地は整っていた。
 1920年4月30日(文献によっては4月1日)、これらの8鉄道が運輸省の下に統合され、ドイツ国営鉄道(Reichseisenbahn)が成立した。この時最後まで統合に反対したバイエルン王立鉄道には、統合後も独自に車両を発注する権限が与えられることとなった。
 1924年に入ると、ドイツ国営鉄道は運輸省から分離独立することとなり、新たにドイツ鉄道公社(Deutsche Eisenbahn Gesellschaft :DRG)に改組された。会計の独立性を期するため、運輸相とDRG総裁が同一人物になることはなかった。
 設立当初のDRGには幾つも早急に解決する必要のある案件があったが、何より特にまず車両の老朽化があった。8000両以上の新型機関車が戦時賠償の名目で連合国側に持って行かれてしまう一方で、DRGには200種以上の老朽化した機関車が残されていた。これらの機関車の多くは、各鉄道が設計変更や列車増発に応じて小ロットで発注したもので、またそれぞれの鉄道の方針や要請に基づいた設計がなされていた。高速旅客機を例に取ってみると、例えば南部のバーデン・ビュルテンブルク・バイエルンでは石炭がとれないので燃料費を節約する意味から飽和式複式4気筒機が主流となった。一方プロイセンは沿線にルール・ザール地方といった大炭田地帯を抱えているので、石炭の消費にはあまり頓着せずに給水過熱器を使用した大出力の高圧単式機を使用できた。これらの少数の機関車を多数保有することは、運転管理上最も性能の劣る車両に合わせたダイヤを必要とし、保守管理の面では少数の機関車毎に互換性のない部品を必要とするなど全く得策とはいえなかった。
 検討の結果、DRGでは以下の2つの解を導き出した。
  • 以前の地方鉄道の設計図を用いて優秀な機関車を量産する。
  • DRGで新たに標準設計を設ける。
 この解に基づき、DRGは当初、各鉄道の設計した物のうち優秀な車両を増備して全国に配置することとした。プロイセンのP8(BR38.10-40)、P10(BR39)、バイエルンのS3/6(BR18.4-5)などである。ただ、このやり方は目新しい方策ではなく、冒頭で述べた通りプロイセンのG12(BR58)は既に戦前から他の3鉄道で使用されている。このため、この形式を最初の制式機と捉えることも出来よう。また、戦時中に大量生産され戦時輸送に貢献したことから、この形式を戦争用機と呼ぶ場合もある。こうした地方鉄道の遺産に基づく車両は制式機登場後も量産され続け、ヘンシェルで1930年6月に竣工した18 531-536と538-540の9両を最後に製造を終了した。
 各形式を紹介する項で「戦後型」と分類されるこれらの機関車を量産し当座の機関車需要を満たす一方で、DRGでは「制式機」と呼ばれる標準設計機の開発を始めた。標準設計の趣旨は複数の部品、シリンダー・動輪・運転台・逆転機などの大型部品から安全弁や散砂装置といった小型部品に至るまでを、同じ形式だけでなく似た用途の形式同士で共用できるようにしようというものである。例として、支線用として開発されたBR24・BR64・BR86の3形式が挙げられる。
標準設計の策定は、機関車規格化委員会(Engerer Lokomotiv Normen Ausschu :ELNA)と、ドイツ機関車製造連合(Deutsche Lokomotivbau Vereinigung :DLV)の一部局である規格統一事務局(Vereinheitlichungsbuero :VB)の共同作業によって行われた。
 最初に開発された機関車は、軸重20tを基準に設計されていた。もちろんこんな重量に耐えられる路線は殆どなく、初期計画通りに製造された機関車はほとんどいない。1925年の最初の計画では、軸重20t級の車両として以下の形式が予定されていた。
形式 軸配置 シリンダー 用途 備考
01 2c1 h2 急行旅客 実際に製造
02 2c1 h4v 急行旅客 試験用10両で生産中止
20 2c h2 一般旅客 製造せず
22 2c1 h2 一般旅客 製造せず
40 1c h2 一般貨物 製造せず
41 1d h2 一般貨物 1d1で製造
43 1e h2 一般貨物 35両製造
44 1e h3 一般貨物 実際に製造
60 1c1 h2 一般旅客 製造せず
62 2c2 h2 一般旅客 15両製造
82 1d1 h2 入換・小運転 製造せず
83 e h2 入換・小運転 製造せず
84 1e1 h2 入換・小運転 軸重を17.5tとして製造
 実に特徴的な事だが、最初に計画された形式のほとんどは実際には製造されなかった。その一方で、計画にない形式が多数製造されている。標準設計の策定から実際に製造されるまでに状況が変化した結果が、こうした製造計画の変化を示している。この事から、制式機計画は一度に決定されたのではなく、また標準設計は変化しないが製造する車両は必要に応じて変動することが明らかである。

 DRGに最初に納入された制式機は、02 001-008(ヘンシェル)・02 009-010(クラウスマッファイ)・01 001-01 008(ボルジッヒ)・ 01 009-010(AEG)である。BR01・02共に軸配置は2'C1'であり、急行旅客用として設計された。両者の相違点はシリンダーにあり、BR01が給水加熱器を装備した単式2気筒機であったのに対しBR02は飽和式の複式4気筒機(高圧−低圧)であった。同時にこれらの蒸機を製作したのは、単式・複式の評価試験を行うためである。
 勿論走行性能は単位時間当たりの動輪に駆動力を与える回数が単式2気筒機に比して倍(一回当たりの力は半分)となる複式4気筒機の方が上であったが、内側シリンダーの整備の煩雑さを補えるほどの利点ではない、という理由から、DRGでは単式2気筒機であるBR01の量産を決定した。
 この決定がなされた背景には、この比較に当たった技術者の多くが旧プロイセン出身で、設計・整備に際し複式装置を扱った経験があまりなかったことが挙げられる。それに、この後DRGの技術陣に君臨することとなるリヒャルト・パウル・ヴァーグナー氏が単式装置の熱心な信望者で、間違っても複式に好意的とは言えなかったということもある。恐らくバーデンやバイエルンの技術者を主体として決定がなされたら、BR02が量産される可能性も高かったのではないだろうか。
 しかし、決定は決定である。この後、DRGでは3形式6両の実験機を除いて複式機は製造されていない。この過熱式・単式というDRGの基準は、後に紹介することとなる輸出用蒸機の設計にも貫かれている。
 一方、単式・複式を巡る争いとは違う形で、BR43とBR44がそれぞれ10両ずつ製造され比較試験に供された。これは将来の標準型貨物機として量産するにあたって、2気筒機のBR43と3気筒機のBR44のどちらがより適しているかを調べるためのものだった。
 結果としては両者ともほぼ変わらないとされ、シリンダー数が少ない分燃料消費が少ないBR43が量産されることとなったが、間もなく輸送需要の増大と共に、より引き出し能力や牽引力・登坂力の高いBR44の方が望まれるようになった。このためBR43は僅か35両で量産を打ち切られ、代わりにBR44が製造されていく。


 その後、制式機のシェアは増していく。(表1)では、制式機の占める割合の変遷を年ごとに示す。

(表1)制式機の占める割合
Scharf, Hans-Wolfgang; Wenzel, Hansjuergen: Lokomotiven fuer die Reichsbahn, Freiburg 1996より

 以下、1928年までに登場した制式機の形式を挙げておく。

 以下、1928年までに登場した制式機の形式を挙げておく。

形式 軸配置  製造期間 最高速度
(km/h)
出力(hp) 軸重(t) 製造数 備考
       
急行旅客用テンダー機

01

2'C1'h2

 

1925-1937

130

2240

20,2

231

02

2'C1'h4v

 

1925

130

2300

20,2

10

※1
               

一般旅客用テンダー機

24

1'Ch2

 

1926-1938

90

920

15,1

95

 
               

貨物用テンダー機

43

1'Eh2

 

1927/28

70

1880

19,3

35

※2

44

1'Eh3

 

1926-1945

80

1910

19,3

about

2000

 
               

旅客用タンク機

62

2'C2'h2

 

1928/29

100

1680

20,3

15

 

64

1'C1'h2

 

1928-1940

90

950

15,3

520

 
               

貨物用タンク機

80

Ch2

 

1927/28

45

575

18,2

39

※3

81

Dh2

 

1928

45

860

17,0

10

※3

86

1'D1'h2

 

1928-1943

70

1030

15,6

774

 

87

Eh2

 

1927/28

45

940

17,4

16

※4

         
※1 01との比較用に製造、後に駆動部を01形と同様に改造して編入
※2 44形に置き換えられる
※3 入換専用機
※4 ハンブルク港の入換専用。同区間には半径100mの急曲線があったので、これを通過
 する特殊な動力機構を備えていた。第2−第4動輪は通常通りシリンダーで駆動するが、
 第1・第5動輪は隣接する動輪の車軸に設けられたギアを介して駆動している。これにより
 第1・第5動輪が先従輪と同じ役目を果たしつつ駆動可能となっていた。

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