レールバス "Schienenbusse"


(Photo) Schweineschnaeuzchen
 ドイツのレールバスであるSchienenbusseが一般的になったのは1950年代であるが、それ以前にも似たような車両は存在した。ザクセン王国鉄道は今世紀初頭に何両か使用していたし、DRGや一部の私鉄も、ローカル線の運行コストが比較的高いことが知られていたことから、数種のレールバスを試験した。このように、購入費や運行コストが低いレールバスは必要とされていた。この時期のレールバスの中では、最も有名なのは"Schweineschnaeuzchen"「豚の鼻」や、"Ameisenbaer"「アリクイ」などである。ただし、これらのレールバスは、依然として使われていた多くの蒸気機関車の代わりとなるには到らなかった。
 第2次大戦後、ローカル線の状況は一段と悪化した。私鉄が所有する車両数が格段に増え、成立したばかりのDB(ドイツ国鉄)は、ローカル線の運行コストを抑える方法を模索する必要にせまられた。1949年にはクレフェルト(Krefeld)のWaggonfabrik Uerdingen社にレールバスの開発がゆだねられ、1950年、DBに11両のレールバスが納入された。これらは、VT 95.901 - VT 95.911で、110馬力のBuessing製ディーゼルエンジンを床下に搭載していた。この11両は後年に製作されたレールバスに比べ全長が短く、軸間距離は4,500mmであった。これらの座席定員(VT 95.901 - VT 95.910: 41; VT 95.911: 43)が不足していたのは明らかであったことから、1951年には全長が長いVT 95.9112が製作された。このレールバスの軸間距離は6,000mmで、"Eisenbahn-Bau- und Betriebsordnung"(EBO)で認可されている長さを超えていたため、特別な認可が必要とされた。これらの試作車は1960年代には廃車になった。
 初めてのフルサイズのレールバスは、1952年に登場したVT95である。濃い赤色塗装のVT95は496両が製作された。15.2tと軽量で、150馬力のエンジンを1基搭載し、最高速度は90km/hであった。VT95の登場により、多くのローカル線が廃線を免れたため、"Retter der Nebenbahnen"(ローカル線の救世主)と呼ばれた。なお、VT95は現在は現役を退いている。
 1953年にはより強力なレールバスの試作車が3両登場した。これらは150馬力エンジンを2基搭載していた。この試作車をもとに、1955年から62年にかけて329両のVT98(VT 98.9501 - VT 98.9829)が製作された。また、VT95とVT98には増結用のトレーラー車も製作された。VT98用のトレーラー車には、制御車もあった。VT95は'Scharfenberg'連結器を装備し、またバッファーは非常に簡素なものであったが、VT98はより一般的な連結器とバッファーを装備していた。このため、VT98は客車や貨車を数両牽引することも出来た。

 これらのレールバスはローカル線はもちろん、幹線の旅客列車や快速列車にも使用されたため、DBのあらゆる路線で見ることができた。しかし、現在はTuebingen近辺で数両のVT98が現役で活躍しているのみとなっている。
 なお、Wurttemberg州のHonauとLichtenstein間の路線用として、ラックレール対応のVT97 (VT 97.901 - VT 97.908)が1961年に登場した。
 1968年には改番が行われ、レールバスの形式は以下のように変更された。
VT 95 --> 795 (レールバス・モーター1基搭載)
VB 142--> 995 (制御車・モーターなし)

VT 98 --> 798 (レールバス・モーター2基搭載)
VB 98 --> 998.0 - 3 (中間客車)
VS 98 --> 998.6 - 9 (制御車・モーターなし)

VT 97 --> 797 (レールバス)
VB 97 --> 997.001 (中間客車・1両のみ)
VS 97 --> 997.6 (制御車・モーターなし)

(Phoyo) 795形

(Photo) 798形

Pictures of Schienenbusse

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