ドイツの鉄道 最新ニュース 列車種別 路線図 ドイツ鉄道旅行記 |
● 9月16日 ● |
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朝6時に起床、朝食を済ませチェックアウト、まずはスーツケースを駅のコインロッカーに預ける。昨日下見したルートに従い、Essenで最初に住んでいた家を捜すべく、Hauptbahnhofから7時45分の146系統Heisingen行バスに乗車してWittenbergstr.に向かう。Essenの歴史は中世に遡るが、20世紀になりKrupp財閥のお膝元として劇的な発展を遂げた炭鉱の町である。人口59万人はルール地方最大、ドイツでも5番目に位置する。しかし市内は驚くほど緑が多く、森も点在している。7時57分にWittenbergstr.に到着する。通り沿いに歩くこと5分、昨日下見したEscehnstr.の入口に着く。ここからは森の中の一本道を歩く。今日も天気は良いが、まだ時間が早く涼しい。木々の香りが全身で感じられて気持ち良い。しかし人通りはなく、人家も全く見えない。S-Bahnの下をくぐり、さらに歩き続けると、ようやく犬を連れて散歩する老人に出会った。道を尋ねようと近づくと犬が興奮して収拾がつかず、諦めて歩き続けることとした。人家が並び始め、人通りが増えてくると、すぐに住宅地に行き当たった。ここはもうEschenstr.の終点だった。行き過ぎたようなので、諦めて折り返す。今度は子供と散歩する男性に出会い、道を尋ねるが心当たりはないようだ。S-Bahnの線路にもう一度行き当たったところで、思い切って側道に入る。ここは完全に森の中、方向感覚を失って迷いかねない。しかし、この道をしばらく歩いても、昔住んでいた家らしき建物は見当たらない。 落胆して元のEschenstr.に戻り途方に暮れていると、犬を連れて散歩中の紳士に出会った。英語で、25年ほど前にこの辺りに住んでいて、その家を探していることを伝えると、大きなFarm houseか?と尋ねられた。そうだ、と答えると、正しいかどうかは分からないが、心当たりの家があるから、犬の散歩のついでに一緒に行こう、とのこと。有り難い限りだ。おとなしい犬と共に森の中を歩く。昔と今のこの辺りのことなどを話しながら歩くこと10分程、森を抜けたところで、広々と広がる芝生に囲まれた白壁の家が見えてきた。脳の奥深くに仕舞いこまれた記憶が蘇る、まさにこの家こそ、ドイツで最初に住んでいた家で間違いない。驚くほど昔のままだ。案内してくれた紳士に何度もお礼を言い、記憶を確かめながら家の周りを一周する。この広い芝生で遊んだこと、冬の朝に雪に覆われた芝生の上を歩き回るウサギを眺めたこと、25年ぶりにここに立っていることがただただ感慨深い。 今日は土曜日、この家の大家さんは市内の土曜市場で花屋を開いていた。父がかなり前にこの土曜市場をのぞいた時は大家さんの花屋は見当たらなかったようで、今日行ったところで会えるとは到底思えないが、市場の風情を楽しみたいし、Essen時代後半に住んでいた家へ行く通り道でもある。Wittenbergstr.の停留所までは元の道を辿っても良いが、遠回りになりそうだ。ジョギング中の女性に声をかけると、丁寧に停留所までの道を教えてくれた。未舗装で木々に囲まれた通りを歩き5分、大きな通りに行き当たり、すぐ近くにWittenbergstr.の停留所が見えた。停留所の横には昨日は気が付かなかったが、小振りなサッカー場がある。ここはETB SW Essenというサッカーチームの本拠地Stadion Uhlenkrug、昨日多くのファンに出くわしたRotweiss Essenよりもさらに数段弱い、小さなサッカーチームだ。しかし、ここに住んでいた時、週末には声援が家まで響いてきていた。こんな小さなクラブチームにも熱心なファンはいるのだ。 Wittenbergstr.はEssenの市内交通を発達過程を象徴する場所の一つである。Essenにトラムが走り始めたのは1893年であった。当時はDRGとの競合が嫌われ、1000mmゲージでネットワークが形成された。しかし、市内交通の高速化のため、1960年代以降は1435mm幅のトラムネットワークが構築され、結果的にEssen市内には1000mmと1435mmの二つのトラム路線が混在することとなった。当時はトラムの全路線を1435mm幅に統一するべきと考えられたが、1000mm幅全路線に改良工事を施すことは難しい。そこで解決策として考えられたのがガイドウェイバス("O-Bahn"と呼ばれた)である。ガイドウェイバスは市内の中心部は専用レーンを通り、その先は一般道を通る。ガイドタイヤによりステアリングを自動的に制御することでレーン幅を狭く取ることができることと、停留所のプラットホームとバスの入口の距離を縮めることができることが大きなメリットであった。1980年9月に最初のガイドウェイバス路線が開通、1983年5月29日にWittenbergstr.から先の900mの区間にもガイドウェイバスが導入された。この区間ではディーゼルモーターと電気モーターを兼ね備え、架線から給電を受けることの出来るDuo Busが試験的に導入された。しばらくはトラムとガイドウェイバスがこの区間を共用していたが、1986年にトラム路線が廃止され、バスのみが運行されることとなった。その後、ガイドウェイバスは市内中心部のトラムの地下区間に乗り入れるようにもなったが、トラブルが続いたことから1995年にはトンネル乗り入れは廃止され、直後に架線給電による運行もなくなった。Duo Busはロシアに売却され、現在は145・146・147系統の一部に存在するガイドウェイ区間をディーゼルエンジンのバスが走っているのみであり、Essenの先進的なガイドウェイバスの試みは失敗に終わったと認識されている。 このWittenbergstr.は私が住んでいた1980〜1982年頃は104系統のトラムが走っていた。しかし家族でEssen市内の別の場所に引っ越した後に、他の新しい交通機関に置き換えられ、残念に思ったことを記憶している。その新しい交通機関こそが、このガイドウェイバスだったのである。Wittenbergstr.バス停には今は使われない1000mm幅の線路が残っており、当時を偲ばせる。 |
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![]() ホテルからEssen Hbfを一望 |
![]() Ibis Essenの外観 |
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![]() Essen Hbfの駅舎 |
![]() 駅構内 |
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![]() Hauptbahnhofからバスに乗車 |
![]() Wittenbergstr.から先はガイドウェイ区間 |
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![]() 森の中のEschenstr.を歩く |
![]() ようやく見つけた懐かしの家 |
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![]() Wittenbergstr.停留所全景 |
![]() 停留所付近には線路跡も残る |
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![]() ガイドウェイバス、車体横にガイド輪がある |
![]() Wittenbergstr.でのバスのすれ違い |
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146系統Wackenberg行の派手な広告塗装をまとったバスに乗り込み、昨日と同じCaecillienstr.で降りる。ここから106系統トラム路線に沿って歩くこと5分、Ruettenscheider Platzに出る。この広場では毎週土曜の午前中に市場が開かれ、広場中に露店が立ち並ぶ。食品から古着などが所狭しと並び、眺めるだけで楽しい。ハムやソーセージなど片っ端から食べたくなるほどだ。ドイツ人は家に花を欠かさない、どこに行っても花屋は多く、Berlin HbfやEssen Hbfにも見られる。もちろん、市場にも何店もの花屋が出ている。あまり期待はしていないが、大家さんの花屋はないか、店名や店員の顔を確認してしまう。買い物をする地元客をかき分け歩き回るが、それらしき店はない。 諦めかけた頃、広場の一番奥にひときわ大きな花屋があった。店名を見ると大家さんの苗字、奥では昔可愛がってもらった大家さんの奥さんがキビキビと働いている。もうかなりの年齢のはずだが見かけは全然変わっていない。まさか会えると思っていたので興奮しながら、近くの店員さんに英語で、私は20年前にあなたの家に住んでいたが、覚えているか?と尋ねてみた。店員さんはふと考えて、"Mr. Huh? (私の本当の苗字です)"と思い出してくれた。彼女は大家さんの娘さんだった。お母さん(つまり大家さんの奥さん)をすぐに呼んでくれて、お互いに再会を喜んだ。奥さんは、私は馬鹿だから英語は話せない、とのこと。私も、ドイツ語をすっかり忘れてしまって申し訳ないと謝り、娘さんを通訳に3人で家族の近況などを話す。大家さんは90歳で数年前に亡くなったとのこと、大往生で良かったと話していた。後で時間があるのならコーヒーでも飲みながら話したいと言ってくれるが、残念ながらそれほどの時間はない。こんなビック・サプライズは予想していなかったから何も用意できないけど、せめてお花だけでも持って帰ってくれ、とユリの鉢植えとバラを持たせてくれた。名残は惜しいが、一緒に写真を撮り、手紙を書くことを約束して別れた。大家さんの奥さんは見えなくなるまで手を振ってくれた。 家族へのお土産にハムを購入した後、22年ぶりの再会の興奮を残しつつ、広場を出てRuettenscheider Sternの停留所まで歩く。ここはトラム101・106・107系統とU11が交差する拠点で、営業窓口も設けられている。ここから106系統のトラムに乗り7分、Rubensstr.で降りる。106系統は平日は日中10分間隔、土日は15分間隔の運行で、Duewag製M8C形が活躍している。M8Cが導入されたのは1976年、もう30年選手ということになるが、車内は古さを感じさせない。Essenには1999年から低床式の新型、DWA/Adtranz製M8DNF形も導入されているが、106系統には入っていないようだ。ここに住んでいた頃からEssen Hbfとは106系統のトラムで結ばれていたことは変わりないが、当時走っていたDuewag製GTW形は既に引退してしまった。 Rubesstr.の停留所からLembachstr.という脇道に入ると、すぐにドイツ生活の後半を過ごしたアパートがある。1階はレストランと食料品店、後者は以前はパン屋だった。その2階が幼児期を過ごした家だ。ここは昨年も訪ねたが、80年代と街並みが殆ど変わっていないのは嬉しい。ここから緩い坂道を5分も歩くと、当時通っていた幼稚園に行き当たる。この幼稚園は教会付属で、近代的な建物の教会ともども懐かしい。教会の隣はU17系統のHolsterhauser Platzの停留所がある。「U」と表示されているが、Essenでは地下鉄ではなく、"Statbahn"を指す。英語では"Light Rail"と訳されることが多い。このStatbahnは都市中心部では地下を走り、郊外では専用軌道を走ることを原則とするものの、一部では交差点を道路と共用するなど、トラムを発展させた都市鉄道と考えた方が実態に近い。トラムは軌間が1000mmなのに対し、StatBahnは1435mmと異なる。Holsterhauser Platzは路面上にある駅で、道路の中心にプラットホームがある。 ここからStatbahnでEssen Hbfへ戻っても良いのだが、やはり愛着のあるトラムに乗りたい。兄の通った小学校の横を通り、Rubensstr.まで戻る。停留所といっても、歩道にバス停と同様の標識が立ち、トラムは道路の真中で停車するだけの簡単なものだ。ここからは106系統のトラムでHauptbahnhofへ戻る。派手な広告塗装を施されたトラムは座席が半分ほど埋まっている。街並みを眺めながら乗ること15分程、フィルハーモニーのあるAalto-Theaterから急カーブで地下にもぐるとHauptbahnhofに到着する。Hauptbahnhofを含むトンネル区間は1977年に開業し、その後も延長されEssen中心部はStatbahnもトラムも地下を走る。Hauptbahnhofは2面4線、1998年に改装され、青色の照明を大胆に使った幻想的な駅へと生まれ変わった。Statbahnとトラムが方向別に並び、トラムとStatbahnの相互の乗り換えはホーム上で可能で極めて便利だ。都市部を地下化する方式でのトラムの近代化はルール地方の特徴的な施策であり、Duesseldorf・Duisburg・Muelheimなど周辺都市にも見られる。しばらく構内を眺めていると、トラムではM8Cと共にスマートなM8DNFも行き交う。101・106・107系統はM8C、105系統はM8DNFと使い分けられているようだ。Statbahnは1976年から導入されたDuewag製B80C、イギリスのDLR (London Docklands Light Railway)の中古車であるLHB製P86、York製P89の3種類の車両が活躍している。P86とP89はいずれも1980年代後半に製作された車両であるが、DLRはトンネル区間での運用上の問題と、制御機器の問題から、P86を1991年に、P89を1996年にそれぞれEVAGへ売却した。これらの車両はEVAGの工場でパンタグラフ搭載などの改造工事を受けた後、Statbahn全3系統で活躍している。ただし、U17系統は路面区間が存在することから、P86のみはU11・U18系統に限定して使用されている。塗装は大半の車両はEVAG (Essener Veekehrs AG)のコーポレートカラーである黄色と赤になっているが、B80Cはライトグレーに赤の塗装の車両を見かけた。また書籍ではP86やP89がDLR時代の赤と青の大胆な塗装のままで走っている写真が見られるが、今回の旅行中は見なかった。 ホームからエスカレーターでコンコースに上がるとEVAGの営業窓口がある。ショーケースにはグッズも並べられており、絵葉書や書籍に並んでM8DNFの模型も売っている。この模型は欲しくて堪らなかったが、必死に理性を利かせて我慢、私が住んでいた頃活躍していたGTW形の絵葉書を購入するのに留めた。余談だが、GTWの模型はLIMAから発売されていたが買いそびれてしまった。。もう12時近い、午後はICEでFrankfurt Flughafenまでの旅を楽しみ、すぐに折り返した後、Koeln・Duesseldorfを観光し、Essenに戻る予定だ。コインロッカーでスーツケースを取り、Hauptbahnhofの目の前のMoevenpick Hotelにチェックインする。部屋にはまだ入れず、フロントに荷物を預けて、すぐに出発。まずは駅前のデパートでお土産を購入し、Hauptbahnhofへ向かう。書店ではEssenを含めたルール地方のStatbahnとトラムについての本を購入した、ドイツ語と英語の二ヶ国語で表記されていて大変有用、この本のおかげでEssenの都市交通の変遷と現状がよく理解でき、この旅行記にも大いに役に立っている。ドイツの駅構内の書店はどこも鉄道関係の書籍やDVDが充実しているが、ここEssenも例外ではなかった。 |
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![]() Ruettenscheider Platzの土曜市場 |
![]() 様々な露店が並ぶ |
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![]() ハムやソーセージの専門店もある |
![]() Ruettenscheider Stern付近 |
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![]() 106系統で活躍するM8C |
![]() Rubensstr.を発車するトラム |
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![]() Essen生活後半で住んだアパート |
![]() この教会付属の幼稚園に通った |
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![]() Holsterhauser PlatzのStatbahnホーム |
![]() Rubensstr.で到着するトラム |
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![]() Hauptbahnhof地下ホームは青色照明が特徴 |
![]() Statbahnで活躍するP89 |
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プラットホームに上がり、ICE 2やICE 3を撮影しながら列車の到着を待っていると、定刻の12時58分にICE 519が2番線に入線してきた。ICE 519は12時38分Dortmund Hbf発、終点のMuenchen Hbfには18時30分に到着する。編成はICE 3 (403形) Tz 318 + Tz 330の16両編成、私は最後部21号車403 530-9に乗車する。ここは2等車、指定された17番は運転席直後の右通路側だ。Essen Hbfを定刻に発車すると一気に加速する。S-Bahnと並走しながら200 km/hで快走し、Muelheim Hbfを通過、Oberhausenへの路線を分岐し、Essenから約10分でDuisburg Hbfに到着する。Duisburgもすぐに発車、Krefeldへの路線が右へ分かれ、直線的な路線を快走する。まもなく右にドイツ第3の空港であるDuesseldorf Flughafenの滑走路がを望みながらDuesseldorf Flughafen駅をスピードを落とさず通過、程なく減速する。ルール地方は車窓から家が途切れることはない、やはりドイツ随一の人口密集地帯というだけのことはある。Duesseldorf-Derendorf Dnfのヤードが見えてくるころ一旦信号停止したが、すぐに発車し、ゆっくりとDuesseldorf Hbfに入線する。3分程度遅れての到着である。 Duesseldorf Hbfを13時30分に発車すると左に大きくカーブし再び加速、200 km/hで南へ向けて走る。EssenからずっとS-Bahnが並走し、次々と多様な列車とすれ違う。Bayer社の企業城下町で、Bundesligaの名門Bayer Leverkusenでも有名なLeverkusenの中心駅、Leverkusen MitteはS-Bahnだけでなく長距離列車線にもホームはあるが、このICEはスピードを落とすこともなく通過、右手にBayerの巨大な工場が広がっている。まもなく減速、右へ大きくカーブを切りながらWuppertalからの路線に合流し、Koeln Muelheimを通過、左手のヤードにはThalysや近郊列車が数多く停車している。右にカーブしながらSieburg/Bonn方面の路線とアンダークロスし、西へ向いたところでKoeln Messe/Deutz駅を通過、425形が待避している。正面に大聖堂がそびえ立つ。ゆっくりと3複線のHohenzollern-brueckeでライン川を渡る。渡り終えたところで右に急カーブ、北西に向いてKoeln Hbfに到着する。ほぼ定刻の13時50分だ。 ICE 519はここで折り返すため、私の席が先頭に変わる。運転手が乗り込み、タッチパネルを操作して出発準備をする。ICE 519はAIRail Serviceの対象列車であり、LH 6819の便名が付されている。おそらく、今頃はLH乗客の荷物を載せる作業をしているはずだ。ドイツ有数の大都市だけあり乗車は多く、座席は8割方埋まったようだが、私の隣は空席のままだ。5分停車の後、13時55分出発信号が青を現示し、独特の警報音と共にドアが閉まると発車する。インバーター音を響かせながら再びHohenzollern-brueckeを渡る。Koeln Messe/Deutz駅を通過、423形や644形、さらに111形牽引のREと様々な車両が行き交う。Duesseldorf方面の路線と分かれ、進路を南東に向けて加速する。Koeln Messe/Deutz駅の地上ホーム(Koeln Hbfに寄らないICEが使う)からの短絡線が合流し、さらに左にS-Bahnが並ぶ。Koeln/Bonn Flughafenへのループ線が分岐し、S-BahnのKoeln Steinstr.を通過する頃には200 km/hに達する。左にS-Bahn、右にライン川右岸線に連なる路線が走る3複線の真中を快走、189形牽引の貨物列車とすれ違う。ICE 3の展望ラウンジの人気はかなりのもの、代わる代わる乗客がデッキに立って前方を眺め、写真を撮る人もいる。やはり、この場所は特別なのだ。私の隣の席には小学生がやってきて、ここで見ても良いか、と尋ねてきたので、もちろん、と答える。Koeln/Bonn Flughafen ループ線が合流し、さらにS-BahnのTroisdorf駅付近でライン川右岸線が右に分かれていと、まもなく減速し、Sieburg/Bonn駅に停車する。Sieburg/Bonnはその名の通り旧都Bonnに近く、Bonn市内とはトラムで結ばれている。 各車両に数名ずつの乗車があり、席がさらに埋まったところで発車、いよいよNBS区間に入る。スピードメーターの横の車内信号は300 km/hを示し、列車は一気に加速していく。Siegen方面の路線が左へと分かれていき、こちらはすぐにSiegauen-Tunnel (2502 m)に入る。トンネルを出ると左にアウトバーンA3が並行する。ここから1000 m前後のトンネルが5つ連続する。起伏が激しく、スピードはその度に上下する。トンネルも多いが、トンネル口径が大きく取られているためか耳ツンはない。線路脇の距離票が"51"(Koelnからの距離)を指す頃、ようやく300 km/hに達する。Sieburg/Bonnから27 kmの付近、この勾配区間での加速が如何に大変か分かる。私の隣に座った小学生は何度か車両後方と行き来し、友達を連れて戻ってくる。スピードメーターを見て"Dreihundert! (300)"と喜んでいる。私も心の中では"300キロ!"と興奮しているのだから、精神年齢は同じだ。Westerwaldの丘陵地帯を駆け抜ける。車窓はアウトバーンを除けば、農地か森林で、住宅は数えるほどだ。Koelnから61.7 km地点、Willrothに渡り線が設けられている。Tunnel Dessener Wald (1270 m)、Dembacher Tunnel (3305 m)を抜けると、アーチ上の橋上駅舎が印象的なMontabaurを通過する。Montabaurの配線はKoeln方面が島式ホーム、Frankfurt方面が対向式ホームで、その間に通過線2本という、新幹線の中間駅に似た構造を持つ。Koeln方面ホームの外側はLimburgからの単線非電化のローカル線が発着する。ローカル線とICEが片方面だけであるにせよ、同一ホームで接続できるのは便利だ。ただし駅周辺は寂しいの一言で、何故ここにICEの駅を建設するのか疑問を感じてしまう程である。 Montabaurを通過するとすぐにHimmelberg Tunnel (2395 m)を入り、さらに400 mから1750 mまでの長短様々なトンネルが連続する。アップダウンを相変わらず繰り返し、スピードメーターは270〜300 km/hを行き来するが、乗り心地は良く、勾配が連続していることを感じさせない。小さなワゴンを押した車内販売員がまわってくる。ICE 3はNBS Koeln-Rhein/Main開業を機に、BordRestaurantがBordBistroに改装されたため、Am-Platz-Serviceと呼ばれる車内販売の充実が図られ、軽食やビールなどの販売を行っている。Elzer Berg Tunnel (1110 m)、Limburger Tunnel (2395m)を抜けるとLahn川を渡り、さらにLimburg (Lahn)駅へ向かう在来線をオーバークロスして、Limburg Suedを通過する。Limburg Suedは対向式ホーム2本とその間に通過線2本という、新幹線の中間駅に似た構造を持つ。東側を並行する在来線は、この駅には立ち寄らないため、市街地とはバスで接続する。駅は立派であるがやはり周囲は何もない。駅の先には救援用の218形2両が停車しており、緊急事態に備えている。その先、Koelnから137 km地点のLindenholzhausen Uestに渡り線がある。 並行するA3とは何度か立体交差し、左の車窓から右へ、あるいはその逆へと何度か位置関係を入れ替える。交通量は多く、ところによっては流れが悪い。ドイツではここ数年、アウトバーンの渋滞が社会問題となっているようだ。列車は300 km/h近い速度を維持し、前方の光景が次々と後方へ飛び去っていく。この速度で急勾配・カーブを繰り返す、まさにジェットコースターさながらの迫力に興奮させられる。Idsteiner Tunnel (2069m)、Niedernhausener Tunnel (2765 m)を超えると、ちょうどS-Bahn S2系統の北端Niedernhausenに近い辺りとなる。さらにNBS Koeln-Rhein/Mainでは最長のSchulwald Tunnel (4500 m)、Tunnel Breckenheim (1150 m)を抜けると、Koelnから152.5 km地点でWiesbadenへの支線が右へと分岐していく。距離票が"157"を示した頃、減速を開始する。WiesbadenへのS-Bahnをオーバークロスしマイン川を渡ると、Frankfurt (M)とMainzを結ぶ在来線をオーバークロスし、そこからの連絡線が右から合流する。進路を南東から北東に代える。車窓の右側はA3、その向こうはもうFrankfurt Flughafenの敷地である。減速しながらTunnel Kelsterbacher Spange (994 m)を抜けると、DBマークも誇らしげなアーチ状の駅舎が特徴のFrankfurt Flughafen Fernbahnhofが現れる。ポイントを渡り、2面4線の一番空港寄り、4番線に到着する。Koelnから169.3 kmを1時間弱で走り抜けたことになる。14時47分、定刻より4分の早着である。遅れた場合の備えてダイヤに余裕があるのだろう、ICE 3のパワーを見せ付けられた1時間だった。 多くの乗客が大きな荷物を抱えて降りていくが、ホームには同様に荷物を抱えた多くの乗客が待っており、かなりの乗客が入れ替わったようだ。2等車はデッキに人が座るほどの混雑となった。ホームの反対側5番線に10分遅れでHamburg Altona行ICE 579が到着、あちらもLH便を兼ねており、"Fraport"(フランクフルト空港運営会社)のロゴが入ったコンテナを下ろしている。ICE 579は折り返して先に発車していく。その発車を待った関係で定刻より数分遅れて、14時59分にICE 519も発車していく。ここからMannheim・Stuttgart・Ulm・Augsburgを経由し、終点Muenchen Hbfには18時30分の到着予定だ。続いて5番線には到着したICE 1653 Dresden行が到着、411形の二次車だ。 |
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![]() Essen Hbfに停車中のICE 3 |
![]() S-Bahnと並走しながらKoelnへ向かう |
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![]() Koeln Messe/Deutzを通過 |
![]() ライン川を渡る |
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![]() Hohenzollern-bruecke |
![]() Koeln Hbfで折り返しとなり、運転手が乗車する。 |
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![]() Koeln Hbfを発車する |
![]() 再びHohenzollern-brueckeを渡る |
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![]() Koeln Messe/Deutzを再び通過 |
![]() Sieburg/Bonnに停車 |
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![]() Sieburg/Bonnを発車するといよいよ高速新線 |
![]() 300 km/hへ向け加速していく |
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![]() ようやく300 km/hへ |
![]() 曲線と勾配が連続する |
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![]() アウトバーンA3が並行する |
![]() Montabaurを通過 |
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![]() 迫力あるパノラマが展開する |
![]() Limburg Suedを通過 |
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![]() ICE 3の旅に興奮する小学生 |
![]() トンネルも多い |
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![]() 速度計は290 km/h近くを指す |
![]() Mainzからの連絡線が合流 |
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![]() Frankfurt Flughafen Frenbahnhofに到着 |
![]() ICE 3の流麗なシルエット |
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![]() ICE 579ではAIRail Serviceのコンテナを降ろす |
![]() ICE 579が先に発車 |
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![]() 追いかけるようにICE 519も発車する |
![]() 続いてDresden行ICE 1653が到着 |
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ここでコンコースに上がり、隣のホームに回る。15時17分発ICE 124 Amsterdam CS行で折り返すのだ。既にホームには乗客が集まり始めている。15時13分定刻に一番外側の7番線にICE 124は入線してきた。Amsterdam・Bruessel行のICEはICE Internationalと呼ばれ、4電源式のICE 3M 406形が使用される。406形はDBが13編成、NSが5編成所有しており、今日のICE 124はDBのTz 4602編成であった。先頭の21号車、406 502-5の展望ラウンジ、運転室直後の右側17番が私の指定された席だ。ICE 124は15時ちょうどにFrankfurt (M) Hbfを出発し、18時53分に終点Amsterdam CSに到着する。Frankfurt Flughafen Fernbahnhofでの乗車も多く、車内は満員、デッキに立っている乗客もいる。ICE 518がホーム反対側から遅れて発車、それを待った関係で15時20分、3分遅れの15時20分に発車する。私の隣の窓側は老婦人、運転席直後の左側2席は外国からの旅行客が座った。ICE 124には昨年3月にFrankfurt (M) HbfからAmsterdam CSまで乗り通した列車だが、その時よりも今日の方が混雑している。 往路は地図をチェックし写真を撮り、と忙しかったが、復路はゆっくりと旅を楽しむこととする。Tunnel Kelsterbacher Spangeを抜け加速していく。車内信号を見ると、先行列車が近いためであろう、300 km/h現示されたかと思うかと、時々250 km/hとなる。マイン川を渡ると再び勾配とカーブの連続で、距離票が"131"となった地点、Frankfurt Flughafen Fernbahnhofから38 km走ったところでようやく300 km/hに達するが、250km/h程度と抑え気味のスピードで走っている時間が長い。太陽が傾いたのか、車内に陽射しが入って暖かくなり、眠気を感じる。左横の外国人旅行客は熱心に前に見入り、時々写真を撮りながら、英語で「この列車は素晴らしい。」と誉めている、全く同感。デッキにも代わる代わる人がやってきて、前方を見ている。 平行するアウトバーンA3の車は止まっているように見える。ドイツでもやはり300 km/hは特別なスピードだ。NBS Koeln - Rhein/Mainの中でもLimburg Suedの前後は特に迫力ある大パノラマが前方から楽しめる。Limburg Sued・Montabaurを通過、MontabaurではICEホームの向こうに貨物列車の姿が見えた。揺れも少なく音も静か、実に快適な旅だ。車内販売がまわってくる。ビールに手を伸ばしたくなるが、Koelnまであまり時間もないので見送る。コーヒーなどがよく売れているようだ。距離票が"31"まで戻ったところで減速、車内信号は140 km/hを表示している。先行するICE 518がSieburg/Bonnに停車するため間隔が詰まったのであろう。こちらはSieburg/Bonnを通過、左からライン川右岸線が近づき、列車は3複線の中央を走る。このあたりは改良新線区間、再び加速して200km/hでの快走が続く。既にKoelnの郊外、沿線には建物が並び、423形が425形の姿が見られる。 185形が牽引する貨物列車を2本続けて抜くと減速、S-BahnのKoeln-Steinstrasse付近で列車は本線から分かれ、左へ曲がって北西に進路を向ける。Grembergのヤードの横を通り、152形の単機回送とすれ違い、さらに左にカーブして南西に方角を変える。スピードは50 km/h程度、複線の古めかしいトラス橋Suedbrueckeでゆっくりとライン川を渡る。右に世界遺産となった大聖堂とHohenzollern-brueckeが望める。ここで停止信号のため、足止めされるが程なく発車、左からライン川左岸線が合流し、Koeln Suedを通過して、右にカーブし北へ進路をとる。Koeln Westを通過すると右にカーブしながらAachenやNeussからの路線に合流し、方角を南東に向けると正面に印象的なガラス屋根のKoeln Hbfと大聖堂が見えてくる。右に大きくカーブしながら、16時20分、5分遅れでKoeln Hbfの一番大聖堂寄り、1番線に到着する。Frankfurt/M方面からのICEはKoeln Hbfへの進入方向に2通りがある。一つはこのICE 124のように南側で一旦ライン川を渡り、西側からKoeln Hbfに入る方法、もう一つはKoeln Messe/Deutzを通過しHohenzollern-brueckeを渡って、東側からKoeln Hbfに進入する。無用な折り返しを避ける意味もあるのだろうが、同じFrankfurt (M)からの列車でも全く反対に発着するのは興味深い。 せっかくKoelnに来たのだ、シンボルの大聖堂 Domは見たい。大聖堂はKoeln Hbfの前の前にそびえ立っている。多くの人々で賑わう駅前広場へ出ると、高さ157 mの迫力に嘆息するばかり。現在の大聖堂は1248年に着工され、実に600年もの時間をかけ1880年に完成したゴシック建築で、ドイツのカトリック教会の象徴的な存在でもある。ユネスコの世界遺産に指定されているが、ライン川対岸のKoeln Messe/Deutz駅前の開発計画の影響で危機遺産に指定されている。中に入ると参拝者は多いが静かで、ここもまた祈りの場であることを実感させられる。身廊の高さに圧倒され、さらにステンドグラスの美しさに感嘆する。大聖堂の塔へは螺旋階段で上ることが出来るが、今回はそのような元気はない。静かに大聖堂を後にする。 |
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![]() Koeln-Steinstrasse付近で本線から分かれる |
![]() 進路を北西に向ける |
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![]() 152形の単機回送 |
![]() Suedbrueckeでゆっくりとライン川を渡る |
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![]() 車窓右側に大聖堂が現れる |
![]() 50 km/hでゆっくりと進む |
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![]() Koeln Suedの手前で一時停止 |
![]() 正面にKoeln Hbfが現れる |
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![]() Koeln Hbfの1番線に到着 |
![]() Amsterdam CSに向けICE 124が発車 |
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![]() 大聖堂を見上げる |
![]() 身廊の高さに圧倒される |
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![]() 美しいステンドグラス |
![]() 駅前広場の賑わい |
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駅前広場の驚くほどの人込みを掻き分け、Koeln Hbfに戻る。構内は銀行・飲食店から本屋・花屋・ファッション関係など店舗が充実している。AIRail Service用のLufthansa Check-inカウンターもある。今夜はDuesseldorfで夕食を摂る予定であるが、まだまだ明るいので撮影を楽しむこととする。2・3番線ホームのHohenzollern-bruecke寄りの末端に移動する。ここはライン川を渡りKoeln Hbfに進入する列車を撮影できる絶好のポイント、各ホームの端にはカメラやビデオを構えるファンの姿が見られる、中高年のファンが多いのが意外だ。 ここの列車密度は驚くばかり、S-Bahnを423形や143形牽引の客車編成が通ったかと思えば、111形や146形が活躍するREが行き交い、ICE 3やICE 2が顔を出したかと思えば、425形や628形、644形、さらにeuregiobahnのTalentも走り、あるいはICE 1に101形牽引のICが現れ、と3複線でこの状態、息つく暇もない。これだけの列車を一箇所で撮影出来る場所はドイツでは他にないだろう。夢中になって撮影しているうちに19時近い、さすがに暗くなってきた。駅構内の本屋をのぞく。ここは鉄道関連の書籍・雑誌・DVDが他の駅の本屋より充実しており、ここで私もDVDを購入する。せっかくKoelnにいるのだからと、名物のケルシュビール Koelschbierを飲むことにした、コンコースの立ち飲みバーで"Dom Koelsch"を一杯、日本でもお馴染みの銘柄だ。昨年Koelschを飲んだ時は物足りなく感じたが、今日はとても美味しい。 ビールに満足し、Duesseldorfへ向かう。時刻表を見るとICEやREが続けて発車した直後で、良い列車がない。こういう時に限って、列車が時刻通り運転されているようだ。しかし、ちょうどDuesseldorfまで行くS-Bahnがある。DuesseldorfまでICEで20分程度、S-Bahnで行っても大して変わるまい。423形に乗りたかったが、やって来たのは143形牽引の客車編成。車内は相変わらず嫌な匂いが漂っている。2等車は座席が埋まっているが、1等車は空いていてボックスを占領する。ライン川を渡り、Koeln近郊を抜ける頃には日が沈み、外はすっかり暗くなった。客車の乗り心地は悪くない、最高120 km/hでスピード感もなかなかのもの。しかし、Leverkusen Bayerwerkを過ぎると左にBayerの工場が広がり、綺麗にライトアップされた巨大なBayerのシンボルマークが目に入る。Leverkusen Mitteで乗客が入れ替わる。ここまでで20分かかった、思いの他遠いことに気が付く。ここでREに乗り換えることも考えたが、良い列車があるか分からないので、このまま乗り通すことにする。しかし、ここからがまだまだ長い。Duesseldorf-○○という駅が何駅も続くが、Hbfにはなかなか到着しない。その間に、横をずっと後から発車したICEやREが駆け抜けていく。一度乗客がかなり減ったが、Duesseldorf Hbfが近づくにつれ、また増えていく。2等車は立客ももいるようだ。カップルが1等車にやってきて、男性が座ろうとするが、女性がここは1等車だ、罰金を取られたらどうすると叱り、2等車へ移っていく。ドイツでも女性の意見は強いようだ。結局1時間近くかかって、20時30分にようやく広大なDuesseldorf Hbfに到着した。KoelnとDuesseldorfは実は40 km も離れているのだ。REかICEで来たら良かった、と後悔する。 |
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![]() Koeln HbfのLufthansa Check-in カウンター |
![]() Koeln停車中のICE 3 |
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![]() 111形のREが到着 |
![]() 111形RE |
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![]() RBには628形も使用されている |
![]() 425形はREやRBに活躍する |
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![]() S-Bahnのエースは423形 |
![]() RE牽引の中心は146形 |
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![]() S-Bahnにも入る644形Talent |
![]() 一部のS-Bahnは客車編成 |
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![]() 146形と共通でREの牽引に充当される111形 |
![]() 644形はローカル輸送に広く活躍 |
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![]() Hohenzollern-brueckeを渡りICE 3が到着 |
![]() ICE 3の二次車の姿も |
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![]() Koeln Hbfに優美な姿を横たえる |
![]() ICE 3を正面から |
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![]() 時折ICE 1も姿を見せる |
![]() 101形はEC/ICに広く活躍 |
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![]() 夕暮れの大聖堂とICE 3 |
![]() euregiobahnの643.2形はRBを担う |
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![]() 146形は頻繁に姿を見せる |
![]() 423形同士の離合 |
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![]() 連結カバーを開けたままICE 3が到着 |
![]() 101形牽引のICが発車を待つ |
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![]() 101形牽引のICとICE 3が並ぶ |
![]() 143形はRBやS-Bahnで活躍 |
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![]() NSのICE 3Mの姿も見られる |
![]() Koeln Hbfの書店は鉄道コーナーが充実 |
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Dusseldorf Hbfは多くの乗客で賑わっている。これからDuesseldorfの繁華街、旧市街 Altstadtで夕食を摂ることとする。構内の本屋のショーウィンドウには鉄道書が綺麗にディスプレイされ、思わず見入ってしまう。AltstadtまではStadtbahnで行く。Duesseldorf HauptbanhofからAltstadtに程近いHeinrich-Heine-AlleeまではU74-U79系統の6系統のStatbahnが集中し、地下区間ながら複々線となっている。各系統の列車が次々と発車するが、どの列車も東京の地下鉄並みの混雑で驚く。トラムタイプの列車に乗り込み、Oststrasse、Steinstrasse/Koenigsalleを経て、Heinrich-Heine-Alleeまでは5分程だ。軌間1435 mmだけあり、乗り心地に安定感がある。多くの乗客とともにHeinrich-Heine-Alleeで下車し地上に上がると、もう21時近いというのに驚くほど多くの人で賑わっている。人込みで歩くのも苦労する程だ。今回の旅行を通じて、ここ以上の人込みは見なかった。Altstadtは美味しいピザ屋が多く、最後の夕食はピザとアルトビア Altbierで、と考えていた。ちょうど美味しそうなピザ屋を発見したが、どう見ても満席で行列が出来ている。その向かいの店も同様。ビアメーカー直営の店は、暗い中で立ってビールを飲む人が道路まで溢れている状態、路地に入っても状況は変わらない。何とか入れそうなピザ屋を見つけたが、ここもほぼ満席、わずかに残った空席に座りようやく落ち着いた。キノコと前菜と、オリーブ・マッシュルーム、そして"Frankenheim Alt"の生ビールを注文する。私はこのアルトビールが大好きで、3杯も飲んでしまった。ピザも美味しく、大満足の夕食となった。会計を済ませ外に出ると、相変わらずの賑わいだ。Heinrich-Heine-Alleeに戻り、StatbahnでDuesseldorf Hbfまで戻ると、22時15分になっていた。 時刻表を調べると、次のEssen方面はICE 512だが、しばらく時間がある。駅構内のスーパーで買物をし、さらに立ち飲みスタンドで"Frankenheim Alt"の生ビールを一杯、さすがに「小」に抑えた。ほろ酔い加減で18番線へ行く。定刻では22時35分発だが少し遅れているようだ。ICE 512はMuenchen Hbfを17時25分に発車し、Augsburg・Ulm・Stuttgart・Mannheim・Frankfurt Flughafen・Koeln・Duesseldorf・Essen・Dortmundを経由し、終点の Muenster (Wesrf) Hbfには定刻では23時59分に到着する。10分ほどの遅れで入線、ICE 3 (403形)を2編成併結 (Tz 306 + Tz 302) した16両編成だ。夜遅いだけにさすがに空いている。私は27号車の1等コンパートメントに腰を下ろした。6人用のコンパートメントだが乗客は私だけ、すぐに検札を受ける。レーザー張りのシートは快適そのもの、200 km/hは出ているのであろうが揺れは少なく、車内も静かだ。Duiburg Hbfに向けて減速していくところで、記憶が途切れた。はっと目覚めると、どこかの駅をゆっくりと発車するところだ。慌てて外を見ると、ちょうどEssen Hbfを発車していくところだった。何とドイツで寝過ごしてしまった。慌ててテーブル上の"Ihr Reiseplan"を見ると、10分弱でBochum Hbfに停車する、ここで折り返すほかない。定刻の23時11分より遅れて、23時20分頃Bochum Hbf着する。時刻表を調べると23時25分発ICE 842がある。運が良い。定刻通りにICE 842が到着、ICE 2の8両編成だ。Berlin Ostbahnhof発Koeln行ICE 842もガラガラ、BordRestaurantでは職員が暇そうにタバコを吸っている。車内は静かそのもの、揺れも少ない。ICE 2に乗車したことで、はからずも今回の旅でも営業運転中の全種類のICEに乗車したこととなた。23時36分定刻にEssen Hbfに到着、わずかな乗客と共に私も下車する。 トラブルもあり、すっかり遅くなってしまった。駅前のMoevenpick Hotelに戻り、遅くなって申し訳ないと謝ってから預けていたスーツケースを受け取り、指定された部屋に入る。さすがに今日は疲れたが、明日は帰国なので荷造りをし、最後にミニバーのビールを1本飲んで寝た。 |
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![]() Duesseldorf Hbfの書店のショーウィンドウ |
![]() 賑わうAltstadt |
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![]() Altbier |
![]() ICE 3の快適なコンパートメント |
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Last Update: 04.11.2006 Text by Hisayuki Katsuyama (ny8h-ky@asahi-net.or.jp) |