1982年3月28日に営業運転を開始したルフトハンザ・エアポート・エクスプレスは、ドイツの航空最大手であるルフトハンザの国内線として運行された列車である。ここでは、この列車が登場した背景や、使用車両、運行形態の変遷を紹介する。 |
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ドイツの列車 ICE Rheingold InterCity CityNightLine LHAE Metropolitan TEE RA 編成表 |
エアポート・エクスプレスの登場 |
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戦前、ルフトハンザは世界最大の航空会社であったが、戦争により活動は中断をせまられた。しかし1955年には再建されると、西ドイツの国営航空として急速な発展を遂げ、1970年代にはドイツ国内はもとより、世界有数の航空会社にまで成長した。1970年代には国際線のみならず、国内線においても強力なネットワークを構築し、鉄道を圧倒するようになっていた。(鉄道のネットワークには、南北ルートが弱く、西ドイツの人・物の流れに適合していなかったという欠点があったことも、その理由の一つである。)しかし国内線のうち、特に短距離路線の場合は採算を取るのが難しいという問題があり、200km程度しか離れていないフランクフルト―デュッセルドルフ間は、平均搭乗率が90%でも採算が取れなかった。ルフトハンザは、短距離国内線の運行の効率化が急務になっていたのである。 この解決策として考えられたのが、列車による代替輸送である。具体的には、ルフトハンザは西ドイツ国鉄(DB)の列車をチャーターし、自社の国内線として運行するというものであった。最初に代替列車の運転区間として選定されたのは、フランクフルト―デュッセルドルフ間である。ルフトハンザの試算では、ボーイング737旅客機で運航する場合、この区間の運航費用は14000マルクかかるのに対し、代替列車の運行経費は8000マルクで、乗車率20%でも採算が取れるとされている。 使用車両としては、ET403/404形電車が選定された。403/404形は1973年にInterCity用として華々しく登場したが、1979年には定期運用からはずされ、団体専用列車などに使用されるのみとなっていた。まだ比較的新しい車両であったので、DBも使い道を模索していたようで、ルフトハンザの代替列車への使用は絶好の機会であった。 代替列車は、"Lufthansa Airport Express"(「ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス」)と名づけられ、1982年3月20日に試運転、22日に報道公開運転、27日に特別運転された後、28日に通常の営業運転が開始された。 |
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運行 |
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ルフトハンザ・エアポート・エクスプレスは1日4往復が運転された。停車駅はデュッセルドルフ中央駅、ケルン・ドイツ駅、ケルン中央駅、ボン中央駅、フランクフルト空港駅。ボンとフランクフルトの間は、ライン川左岸線経由で運行され、乗客はライン川沿岸の景勝地を車窓から楽しむことが出来た。1983年3月27日からは、運転区間がデュッセルドルフ空港駅まで延長された。 運行には、エッセン管理局ハム機関区所属の3本のET403のうち、2本を使用された。(1本はデュッセルドルフで待機。)運転に関する業務はDBの職員により行われ、DBの局内では全車1等のエアポート・エクスプレスはTEEとして扱われた。タイムテーブルは以下の通り。 |
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(1982 Summer)
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フランクフルト空港駅のホーム容量の関係で、フランクフルトでは折返しのため、空港駅到着後に一旦中央駅などに回送された。また車内で提供される食事や飲物の補充や清掃は、フランクフルト空港駅とデュッセルドルフの留置線(83年夏からはデュッセルドルフ空港駅)で、LSG(ルフトハンザの子会社)により行われた。 ET403は通常は4両編成であったが、多客時には、オープン・サロン車を増結した5両編成や、2連1本を増結した6両編成、3連1本を増結した7両編成で運転されたこともあった。ET403は予備車が少なく、故障などの際は機関車牽引の客車列車で運行されることになっていたが、実際にはET403は極めて好調で、故障もほとんどなかった。 エアポート・エクスプレス運行の好調ぶりを伝える例としては、1988年8月に起きたライン河の大氾濫の際、車内はガラガラでながら、運行されたことが挙げられよう。また、ハノーヴァーやブレーメンで見本市が開催された際には、特別列車が運行された。 |
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(1992 Summer)
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サービス |
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ルフトハンザ・エアポート・エクスプレスは航空便の一部という扱いであったため、予約が必要であり、運賃は航空運賃が適用された。車内では、ヨーロッパ圏内の国際線と同様のサービスが行われ、機内食(コールド・ミール)やドリンクのシートサービスが供された。これらの車内サービスはルフトハンザの職員(列車のみに乗務する職員)により行われた。(運行自体はDBが担当。) フランクフルト空港からの接続便を利用する乗客は、車内でチェックインし、手荷物を預けることが出来、またフランクフルト空港駅には専用待合室が設置された。 |
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シュツットガルト線の登場 |
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エアポート・エクスプレスは登場以来好調で、1990年夏ダイヤからはフランクフルト空港―シュツットガルト中央駅でも運行が開始された。この路線も1日4往復が運転され、所要時間は大体2時間。特徴的なのは、使用車両が111形電機牽引の客車(Avmz106 3両)列車となったことであった。1991年6月2日からは運行経路がNBS(高速新線)経由に変更され、牽引機も急行用の103形になってスピードアップされ、フランクフルト空港駅―シュツットガルト中央駅間は1時間30分となった。この際には新たにBpmz296客車が製作された。 |
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(1992 Summer)
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エアポート・エクスプレスの終焉 |
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1990年代に入ると、海外旅行客の減少などで、エアポート・エクスプレスの乗客も減少した。また、ET403の老朽化が目立つようになり、改修工事をする必要に迫られたが、それにかかる経費が問題となった。これらの理由から、1993年春をもって、エアポート・エクスプレスは廃止された。 2000年3月1日より、Lufthansa、DBAG、フランクフルト空港の3つの企業は共同で新しいパイロットプロジェクト"AIRail Service"を開始した。ルフトハンザの乗客はシュツットガルト中央駅でチェックインでき、列車を利用してフランクフルト空港に向かい、荷物も世界中の最終目的地空港まで送り届けられる新しいシステムとなっている。乗客が利用する列車としては、1日6往復のICE定期列車があてがわれ、ルフトハンザがチャーターしている1輛の1等車(46座席)に乗車する。7月10日からは1日7往復への増発され、2時間間隔となっている。 このサービス開始により、チェックインカウンター、荷物用コンベア、税関事務室のある小さな専用ステーションがシュツットガルト中央駅に新設された。ルフトハンザの乗客専用ICE車輌は国内航空路線のビジネスクラスに合わせている。ドイツ鉄道はこの乗客荷物のための専用室をICE車内に設け、また特別な移動コンテナが用意された。さらにシュツットガルト中央駅とフランクフルト空港駅にはフォークリフトも設けられた。 両駅間の所要時間は僅か73分であり、空港における乗り継ぎ時間も短縮されたことで、乗客にとっては大幅な時間短縮が可能となった。また長期的な展望に立った場合、短距離航空路線の鉄道利用は環境保全にも貢献できると考えられている。このプロジェクトが成功すれば、2003年からはフランクフルト空港駅とケルン中央駅間でも、高速新線経由のICEによる"AIRail Service"が開始される。 |
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車両について |
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デュッセルドルフ線にはET403が使用された。一方、シュツットガルト線は当初は111形牽引の客車列車であったが、後に103形牽引に変更された。客車はAvmz207を改造した、Avmz206形が用意された。この客車は、ET403と同様のルフトハンザ・カラーとなり、内装の色もB747-400に合わされた。通常はこの客車が3両編成で運転されたが、多客時には通常のIC客車が造結された。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ET403 103形 111形 |
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パンフレット |
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エアポート・エクスプレスのグッズ |
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Text by Hisayuki HUH (ny8h-ky@asahi-net.or.jp) Update: 25.9.2001 |