1971年の登場以来、InterCityはドイツの長距離輸送の中心を担ってきた。30年が経過した現在、そのICにもいよいよ変革の波が押し寄せようとしている。ここではICに関連する最近の動きや話題をまとめた。 |
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ドイツの列車 ICE Rheingold InterCity CityNightLine LHAE Metropolitan TEE RA 編成表 |
(1) 老雄はしぶとい 運転開始以来、InterCityの先頭に立つ機関車といえば、卵形の103形電機であった。しかし美しいスタイルで人気のこの機関車も登場後30年が経過し、引退が間近に迫っている。ただ英雄は美しく散る…というが、この103形に関しては当てはまらないかもしれない。意外としぶといのである。 当初、103形は1998年頃には引退すると言われていた。実際、101形の登場に伴い、1998年頃から廃車が本格化していった。ところが6月にICEのエシェデ事故が起こり、ICE1が検査や工事で運用から離脱したため、ICE代行列車が数多く運転され、その牽引に103形が用いられたのである。この時期の機関車不足は深刻で、ついには廃車のため工場送りにされた機関車までもが駆り出された。さらに2000年にハノーファーで万博があり、万博向けの特別列車運転のため機関車が必要ということで、100両程度の機関車は残された。しかし、これらも万博終了とともに引退するはずであった。 万博が終わった時点で、現役の103形は60両程度。冬ダイヤでは103形の定期運用も激減し、廃車が一気に進められることになっていた。ところが秋から101、120、112形といった高速対応電気機関車にトラブルが相次いだ。そこで、これらの運用の一部を103形が担当することになり、冬の間は廃車はあまり進まなかった。とはいえ、他の機関車のトラブルが解決していくにつれ、再び103形の廃車のペースが速まってきている。夏ダイヤで定期運用が残ることはあまり期待できそうにない。 いよいよ引退する103形であるが、保存に向けた動きも活発化している。すでにDBが試作形初号機E03 001と、量産機ラストナンバーの103 245を保存機に指定している。両者とも塗装は登場時ものになっており、前者は特別列車の牽引にあたり、後者は現役バリバリの活躍を続けている。また「Club 103」という鉄道ファンの団体が発足し、最低でも1両の103形を保存するための活動を行なっている。 (2) 悲劇の機関車 少々大げさな題をつけたかもしれない。ここでは120形について触れたいと思う。1979年に試作機が登場した120形は、はじめて駆動用に誘導電動機を採用した画期的な機関車である。当時のDBは、この機関車を将来の標準機と位置付け、ICから貨物列車まで全てを牽引できる凡用機として大量に導入することにしていた。華々しい未来は約束されていた、と言っても良いであろう。 綿密な試験が繰り返された後、1985年にまず量産機60両が発注され、1987年には量産初号機が登場した。しかし、この量産機は登場直後から駆動装置系統や変圧器などの油圧系統に容量不足からくる故障が頻発、信頼性の低さを露呈してしまった。 問題はそれだけではなかった。ICにも貨物用にも使えるように設計されたため、性能が中途半端になってしまい、IC牽引用としても貨物列車牽引用としても使いにくかったのである。当初は高速新線経由の全てのICは120形が牽引したが、これも気密化工事を施した103形に置きかえられる始末。結局120形の量産は60両で打ち切られてしまった。 120形は現在、101形や103形の陰で、細々とICやIRを牽引している。信頼性も高いとは言えず、それどころか昨年秋には再び問題が見つかり、10両以上が運用から離脱している。DBも、このような120形にはさすがに手を焼いており、101形の追加発注や103形の使用延長も検討されたようである。ただ、最近になってニュールンベルクの工場で大規模な改修工事が始まったのは明るいニュースであろう。 (3) 現代のエース IC牽引のエースは101形電機である。1997年からの2年間で145両が製造され、最高速度220km/hを誇る高性能と信頼性の高さから、ドイツ中のEC・IC・IRの他、ハンブルクとケルンを結ぶMetropolitanの牽引なども担当している。推進運転にも対応しており、両端を101形と制御客車に挟まれた編成が、現在のICの典型的な姿であるといえよう。 ところが、この101形、鉄道ファンの間での人気はイマイチである。特にデザインは評判が悪い。美しい103形の後継機という立場から、余計に厳しく見られるのも事実であろうが、担当したデザイナー自身も101形については満足していないようである。顔以外のデザインは決定済みで、しかも時間的な制約もあったとのことで、十分にデザイン案を検討することが出来なかったのかもしれない。もっとも私個人は101形のデザインも好きなので、時々101形ファンに出会うと嬉しくなる。 (4) 機関車は広告塔 IC牽引のエース、101形電気機関車が最近にぎやかである。何がと言えば、その装いである。101形の標準塗装は赤一色で、先頭部に白い帯が入ったものであるが、ドイツに行って行き交う101形を眺めても、この塗装の機関車はあまり見かけないはずである。代わりに車体いっぱいに広告が描かれた、カルフルな機関車を多く見かけることであろう。 機関車を広告媒体として用いる手法は、ドイツに限った話ではない。お隣スイスの高性能電機Re460には以前から多くの広告機が登場していることは周知の通りである。ドイツでも120形などに数年前から広告塗装が現れていたが、数はまだ少なかった。 101形の広告機としては、初号機が"StarlightExpress"という鉄道をテーマにしたミュージカルの広告塗装となったのが最初である。その後、この機関車がドイツへのサッカー・ワールドカップ招致をアピールする広告塗装となった。ここまでは、101形の広告機はたったの1両であったが、昨春から広告機が大増殖した。 きっかけとなったのは、ドイツ最大手のBayer製薬がスポンサーとなって登場した、22両の広告機である。このうち11両はBayer社そのものの広告機であり、7両はBayer社の製品である「Aspirin」、4両が「Makrolon」の塗装となっている。 秋になって、今度はCMA社が80両もの広告機を登場させた。CMAの広告塗装には3種あり、最も多い48両には"Mehr Zeit fur Kinder" (「もっと子供に時間を」)と書かれた黄色の塗装である。21両は水色で、"Geniessen auf gut deutsch: mit Fleisch aus unseren Regionen."(「素晴らしいドイツを楽しもう - 我々の地域から生まれた肉とともに」)と書かれている。そして残りの11両も水色がベースで、"Milch. Alles andere schmeckt nur nass" (「ミルク - 他のものは水っぽい味がするだけだ。」)と書かれている。全面に描かれた美しい絵とともに、これらのコピーも印象深い。 私が個人的に最も面白いと感じる広告は、2000年夏に登場したBaden-Wuertenburg州のそれである。Baden-Wuertenburg州の広告機はシンプルで、塗装は変更されておらず、側面に大きくコピーが書かれているだけである。その文句は"Nett hier. Aber waren Sie schon mal in Baden-Wuerttemberg?"(「ここも良いだろう。しかし、貴方はもうBaden-Wuerttembergに来たことがあるのですか?」)である。例えば、ベルリンやミュンヘン、あるいはケルンで、目の前にこんな文句が書かれたBaden-Wuertenburg方面に行く列車が現われたら…と考えると、洒落ている。 (5) 消える食堂車 日本では昨年、最後まで残った「グランドひかり」の食堂車も営業休止に追いこまれてしまったが、ドイツでは、短距離しか走らないごく一部の列車の除き、大半のICには食堂車が連結されている。しかし食堂車の採算性が悪いのはドイツも同じようで、かなり前から新しい形態の供食サービスが試みられてきた。80年代には"QuickPick"という軽食堂車が存在したし、90年代にはマクドナルド食堂車も登場した。しかし、これらはいずれも成功せず、短期間のうちに姿を消している。現在ICに使われている食堂車は、レストランのみからなるTEE時代以来の伝統的な食堂車と、ICEの食堂車と同様にレストランとビストロに分けられた"BordRestaurant"の2種で、DB傘下のMITROPAにより運営されている。 しかし、遂にドイツでも食堂車が大幅に削減されることになった。DBなどの発表によると、2001年夏には半数のICとECから食堂車を廃止される予定で、残りについても2002年までに廃止することも示唆されている。とはいえ、供食設備が全くなくなるわけではなく、現在IRに連結されている軽食用の"BordBistro"が、ICやECに連結され、また1等車においてはシートサービスも行なわれる。今回の食堂車廃止の背景には、食堂車を運営するMITROPAが経営危機に陥っていることと、食堂車事態の老朽化が進み車両更新が必要となっていることが挙げられる。ICEについてはこれまで通り、"BordRestaurant"の営業が続けられるが、TEE以来の伝統を誇る食堂車が消えるのは間違いなく、仕方がないと思う一方で、やはり寂しい。 (6) 塗装変更 IC全盛期の1980年代、1等客車はベージュと赤、2等客車はベージュと紺、という装いであった。しかし1985年から塗装変更が始まった。新塗装はOrientrotと呼ばれ、ベースは白色で、窓回りは赤色、その下にピンクの帯が入った。ドイツでは何故だか塗装変更に時間がかかることが多いが、1990年代後半になり、いよいよ塗装変更もほぼ終わるという頃、また新しい塗装Verkehrsrotが登場した。Verkehrsrotでは、窓回りの赤色の色調が鮮やかになり、ピンクの帯がなくなった。このVerkehrsrotへの塗装変更も順次進められており、最近のICはOrientrotとVehrkehrsrot塗装の混色編成が多くなっている。ところが、Orientrot塗装の客車がまだ相当残っているというのに、DBはまた新塗装を発表した。 今回の新塗装はICE塗装と呼ばれており、その名の如く、白で色のベースに細い赤帯、というICE客車と同じ塗り分けが採用されている。DBでは、陳腐化したIC客車を、数億マルクを投資して、ハード(技術)・ソフト(デザイン等の設備等)両面で大改良を施すことを決定し、この塗装変更もその一環として行なわれている。塗装変更は1年半以内に行なわれ、また2003年までに117本のリニューアル編成が用意されることになっている。 3月現在、最新塗装の客車は着々と増えつつあり、またリニューアル編成はLindau - Passau間のICで営業運転に就いている。 (7) 旧型客車の再就職 2等コンパートメント客車Bm235型はICの200km/h運転が本格的に開始された1979年から活躍している。700両以上も製作されただけあって殆どのICに連結され、IC客車の中心的役割を果してきた。私自身にとってもドイツに住んでいた幼い頃に何度か乗った思い出深い車両で、車内は2等車だけあって豪華というわけではなかったが、今思うと味わいがあった。後継の客車が登場したことで、最近は以前に比べ活躍の場が狭められているが、それでもICに連結されている姿は少なからず目にする。ところで、このBm235型の車内は登場時から殆ど手が加えられていない。車齢が20年に達して陳腐化が進んでおり、車内には妙な臭いが漂っている、という話も耳にする。客車数が余っていることもあって、引退が進んでいる。 しかし隣国のオランダ鉄道 NSが、このBm235形に目をつけた。車両不足に悩むNSは余剰となったBm235形をに150両も購入し、自国内のICに投入することにしたのである。これらは一旦、客車改造を専門とするPFA社に買い取られ、オランダ仕様にリニューアルされる。36両は1等車に改造され、一部の客車には自転車用スペースや身障者対応設備が設けられる。オランダでの営業運転は2001年8月に開始される予定で、列車の両端に1700型か1800型電機が連結され、Amsterdam - Vlissingen間のICに投入される。引退間近の客車たちにとっては、これ以上ない幸運な話であろう。 (8) ICE使用のIC ICE用の車両は、当然ながらICEに運用されるのが基本である。しかし、何度かICとして運転された例もある。ICE開業前日には回送を兼ねて一部のICにピカピカのICE1が運用されたし、ICE2編成の定期運用にICが存在した時期もあったようだ。登場したばかりのICE3も、ほんの2週間弱であるがEC(ICの国際列車)に投入された。 昨年11月5日にケルンとアムステルダムの間で、"ICE International"が営業運転を開始した。この列車にはDBとNSが所有する4電源式のICE-3Mが使用されており、国境駅エメリッヒでの機関車交換がなくなったため、時間短縮が計られた。これに先だって10月23日から11月4日にかけて、ケルンとアムステルダムを結ぶ列車番号140台と150台のECの一部が、ICE-3Mにより運転された。鉄道会社側から見れば単なる足慣らしだったのであろうが、通常の客車列車を予想つしてた乗客には、予想外のプレゼントとなったことと思う。 |
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この記事は海外鉄道研究会の会誌である"PENDELZUG向けに、2001年3月に書いたもので、現在とは状況が少し異なります。 Last Update: 0104.2002 Text by Hisayuki Kyo (ny8h-ky@asahi-net.or.jp) |